私たちは、誰の欲求に応えているのか?
「他人から求められること」と「自分のやりたいこと」
私たちは、他人から求められることと自分のやりたいことの2つのバランスをどのようにとるか。
自分のやりたいこと、大好きなこと、才能を活かすことなどの自分の心が高揚することは脇に置いておいて、人から求められることを中心にして生活するだけで人は満足できるのか。
時代の流れの中で、もっとも華やかな業界や最先端の業界に身を置いて働く。
我を忘れるくらい会社での評価や他人からの評価を得るために働く。
自分がどれだけお金を稼げるかを優先にし、家族、友人、自分自身の本心には目を配らず、耳も傾けない。
上に挙げたようなことは、一見すると社会的には評価が高く羨望の的になることだと思います。これらの行動に人生のエネルギーの多くを注ぐことが、自分の本当の欲求であれば、体にも力が満ちて楽しいことでしょう。その時は、きっと心も満足しているはずです。
しかし、それが社会的に評価されるという理由でやっているとしたら、もしかしたら注意が必要かもしれません。自分の本当の欲求に自分自身で自覚的に気づけないと、いつも何と無くイライラしたり、頑張って成果が出たとしてもちっとも喜べなかったりするかもしれません。その働き方が、あなたに他人からの評価を持ってきて、一定の期間、幾分かは満足するかもしれませんが、どこか胸に穴が空いたように、せっかくの楽しさや喜ぶ気持ちは抜けていっていしまい、自分の中に満足感が満ちることはないかもしれません。
他人の基準であなたの人生を生きることの弊害
あなたが本当にやりたいことがあるのに、今、それを生活の中に取り入れていなかったとしたら、本当に毎日を満足感とともに過ごすことは難しいでしょう。
大自然の中、インターネットも繋がらない場所でひとり生活している人は別ですが、この2019年生きる私たちは、毎日多くの情報に触れています。それこそ大量にです。市場の要求に応える企業、顧客の要求に応えるビジネスマン、上司や同僚の期待に応えようとする会社員、社会の価値観に合わせて日々働くみなさん一人ひとり、人の要求に応えることが普段からあなたの頭の中を占めていませんか?
それは当然のことともいえますが、あなたの人生の大半の時間が人の要求に応えることに使われているとしたら、なかなか自分の中で満たされた気持ちやゆったりとした時間を味わうことも難しいでしょう。毎日の生活や休日でできることは、他人の要求に応えることで疲れてしまった自分をいたわって、元の自分の状態に戻すことが精一杯かもしれません。
自分の本当の欲求に気づけなかったり、気づいているのに実行に移せなかったりすると、長い人生の中で何処かにひずみが出てきます。普段の生活の中で、自分自身の全体の一部しか表現できていないのですから。
仕事を成し遂げたのに思った以上に満足感が低く、次から次に新しい仕事に邁進していく頑張ってしまったり、自分にも他人にも少しのミスを許さないほどに完璧主義になってしまったりする人もいるでしょう。また、ミスばかりしてしまって仕事も人付き合いもうまくいかなかったり、そもそも全く何もやる気にもならない人もいるでしょう。
私たちは、他人や社会の要求に従って自分自身の欲求を無視して、常に人や誰かが作ったシステムに従属していないといけないのでしょうか?