あなたに何か才能はあるか。それとも、どんな才能もないのか。
あなたに才能はあるか?
「あなたにはどんな才能がありますか?」
そう聞かれて、あなたはどう感じますか?
「もちろん。私はもう自分の才能を活かして仕事をしてるよ」
「俺には才能なんかない。けど、自分の努力でなんとか結果を出せる」
「私なんかに人より抜きん出た才能はない」
「自分の才能なんて、考えてもさっぱりわからない」
人それぞれいろんな感じ方があるでしょう。
あなたはこの中では、どれが一番しっくりきますか?自分に才能があるのか、それともないのか。どのように考えるのもあなたの自由です。
しかし、あなたの個人的な思い込みであったり、あなたが才能に対してどんな気持ちを感じていたとしても、「あなたの才能」はあなたの中に眠っているはずです。
「才能がない」よりも「才能がある」と思っておいたほうがいい
仮に、あなたに才能がない、としましょう。
あなたには、どんな分野についても才能と呼べるものが全くない、ということです。
あなたは、どう感じるでしょうか。自分に全く才能がないと考えると、いくら頑張っても自分自身が大きく成長する感じがせず、絶望的な気分になるかもしれません。また、人数としては少ないかもしれないですが、全く逆に、自分に対する期待がなくなって、気持ちが楽になる人もいるかもしれません。
けれど、人の寿命が延びて、個人の人生が100年に届く社会を生きることになる私たちにとっては、その一生を自分はなんの取り柄もない、才能もない人間として生きるのは、ちょっと気持ちの上で苦しい感じがするでしょう。普段の日常的な生活の中でも、仕事や家族、そのほかの人間関係やお金などでストレスを感じている状態で、未来に対する可能性まで、いま、狭められる感じは、息苦しさや重苦しさを増してしまいます。
一方で、私には才能がある、と仮定しましょう。
こちらは、どう感じるでしょうか。
あなたには、才能がある。必ず才能はある。
これまで人から何かの才能があると言われたことがないとしても、自分自身でも人より得意なことや好きなことがわからなかったとしても、あなたの主観的な意思とは別なところに、あなた特有の才能はある。しかし、あなたは、それにまだ気づいていないし、普段接する人もその才能に気づいていない。これまであなたと時間を共にした人も、あなたの才能に気づいていない、ということです。
あなたは、まだ見つけていない自分の才能に気づくことができます。あなたは、才能に気づいていない自分から、なんらかの才能を持った新しい自分に出会う可能性が、あることになります。
あなたは、どちらを選択しますか。